二人は、稀代の名曲を明日に伝えるプレゼンターのようだ
最初に聴かせてもらった印象が「なるほどなあ」だった。
作詞・永六輔、作曲・いずみたく。初めて歌われたのは1960年の夏。二人が初めて作ったミュージカルのタイトル曲だ。初演はリリオリズム・エアーズというコーラスグループ。坂本九が出演したのは61年の再演からで、それがレコードになった。
日本で暮らしている人で「見上げてごらん夜の星を」を知らないという人はいないのではないだろうか。時代も世代も性別も超え、老若男女に親しまれているという点では同じく坂本九が歌った「上を向いて歩こう」と双璧だろう。「J-POPとは何か」という問いの答えはその二曲の中にあると言って過言ではない。カバーされている多さでも群を抜いている。
それだけ有名な曲をカバーするのだから、二人にプレッシャーがなかったはずはない。時代は違うし原曲はソロでゆずは二人組だ。しかもシンガー・ソングライター、音楽のスタイルも違う。「なるほどなあ」と思ったのは、そんないくつもの課題に真摯に答えてくれているように思えたからだった。
クレジットに“加詩曲・北川悠仁”とある。つまり、詩曲が加えられている。言ってみれば“曲紹介”ということになるのだろう。なぜ、この曲を今、歌おうとしたのか、この曲で何を伝えようとするのか。自分達にとって普遍的な歌とはどういうものなのか。単に原曲を歌うだけに終わらない意味づけ。そのことが作品として明確に表現されているという意味での「なるほどなあ」だった。“プレゼンター”として敬意を表しつつ同じ土俵に立つ。そこまで踏み込んだカバーは多くない。
誰もが知っているあのフレーズは途中まで出てこない。彼らの「虹」以降の特徴の一つになっている“動きのあるストリングス”が稀代の名曲への先導役を果たしてくれる。ノスタルジックな情感を増幅して過去に舞い戻るのではない。半世紀を超える時の架け橋としてエスコートしてくれる。北川悠仁と岩沢厚治のそれぞれの歌には、襟を質した誇らしさを感じさせる。蔦谷好位置のアレンジは一振りごとに星をちりばめてゆく魔法の杖のようだ。
ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」は、定時制高校の若者達が主人公だった。高度成長への最初の扉を開けた60年代の若者たちの希望の歌がこれだ。作曲のいずみたくは、うたごえ運動からCM音楽の作曲者としてプロになった。作詞の永六輔は、ジャズのラジオ番組の構成作家で作詞をするようになった。坂本九は、エルビスプレスリーに憧れるロカビリー少年だった。つまり、今風に言えばそれまでの業界と一線を画した“オルタナテイブ”な3人だった。
ゆずは、来年がデビュー20周年。路上からスタートした彼らも、同じような流れの中にいると言って良いのではないだろうか。二人が見上げた夜空にもきっといくつもの小さな星が小さな光を放っていたに違いない。いつの時代も新しい才能は新しいフィールドから登場する。J-POPは、そうやって時代を刻んできた。ゆずがそんな流れを受け継いで行くことの意義は大きい。
いずみたくは、77年に出たエッセイ集「見上げてごらん夜の星を」で、この曲についてこう書いている。
“さて、初日。ボクの想像していた最高の状態が、幕が降りたあとのフェステイバルホールで起こった。
三千人の客がみんなこの歌を口ずさみながら帰るのである。「ミュージカルの幕が下りた後、皆が歌って帰るようなものを作りたい」というボク達の願いは大きく実った。ボク達スタッフは恥ずかしさを忘れて泣いた”。
曲が進むに連れて、鼓動感が増して行く。それはまるで、この曲に込められていた様々な人たちの想いが解き放たれてゆくようだ。“ライブ”という言葉すらなかった時代に生まれたこの曲が客席にどう受け止められるか。それが楽しみでならない。
ライナーノーツ 田家秀樹